北海道新聞朝刊「朝の食卓」執筆

北海道新聞朝刊「朝の食卓」に、2002年1月〜2003年12月まで弊社代表の森田麻美子がコラムを書かせていただきました。

目次

■たわいない日記(2002年1月8日)

日記には楽しかったことだけ書きます。いやな出来事を書いてウップンをはらすのも一つの手ですが、私はそういうことは早く忘れたいほうです。

四年前にボランティアグループを立ち上げ、日本では新しいNPO法人(特定非営利活動法人)化し、「月刊ボラナビ」の発行を続けています。毎日が新鮮な出来事の連続です。

楽しいこともいやなこともあるから生きているのはおもしろいのですが、前向きに考えられないくらいつらいこともあります。でもそれは日記には書きません。なにもなかった日は、例えば、その日食べたものを、実際感じた以上に、おいしかったように書きます。ちょっとインチキみたいですが、日記は笑えるエピソードだけで埋めていきます。

私が使っているのは三年日記帳。日付の書かれたページが上中下の三段になっていて、去年、おととしの同じ日にあった出来事が目に入るようになっています。たいていの人ならとっくに忘れているような過去のささいな幸せを、私は毎晩、日記帳を開くたびにかみしめなおし、ニヤリとします。不気味ですね。

こんなたわいない日記を書き始めたきっかけは忘れましたが、十五年前、中学生だったころから続けています。そして、もちろん今夜も。

「あぁ、私って幸せ!」

■家事の手抜き(2002年2月16日)

「部屋にまぁるく掃除機をかけてきたわ!」。主婦のボランティアスタッフが豪快に笑った。
そう、働く女は忙しい。仕事をしながら家事も完ペキに、なんて、できっこない。

わたしがいちばん手を抜いてしまうのは食事です(部屋の掃除についてのコメントは控えます・・)。でも、仕事でくたくたになった日にこそ、手作りの和食が食べたくなります。

問題はダシ。朝からコンブや煮干しを水につけるなんて、ぜったいに無理。わたしは出勤前、自分がパジャマを着たままじゃないかを確認するのが精いっぱいです。

そこでコンブ、煮干し、カツオブシをすべてミキサーにかけてダシの粉にしてみました。みそ汁、煮物など、なんにでも使えます。ざるそばで少しだけダシが欲しい時も、水に溶かしてわかすだけ。ごみもでない。煮干しの骨も丸ごと食べていることになるから、カルシウム入り。いいことずくめです(ホンマかいな!)

気づくと、わたしは、いつも考えています。さて、ほかにも手を抜けるところはないかしら?と。

−NPO(民間非営利団体)に参加していなかったとしても、わたしは家事の手抜きをしていたことでしょう。

■真冬のコート(2002年3月22日)

真冬にコートを置き忘れるのは、酔っ払いだけではありません。

先日、二つ、スピーチをする機会をいただきました。会場は美瑛と札幌で、偶然にも同じ日の昼と夜。わたしは、資料の「月刊ボラナビ」を五十人分かかえて、バスと列車で移動をしました。帰りはタクシー。クタクタになったけど、充実した一日でした。

ところが次の日になって、コートがないことに気がつきました。二つ目の会場に忘れてきたのです。仕事中、私は事務所のスタッフに知られないように、外から、携帯で電話をしました。

「えぇっ?」。電話口からは、あの温厚な主催者さんらしくない、すっとんきょうな反応が。仕方ありません。

そのまま折り返し来るはずの電話を待っていると、かかってきたのは主催者さんじゃなくて、笑いに震える、うちのスタッフからでした。

「ぐふっ、いま事務所に連絡がありまして、森田さんが昨日、忘れてったコート、会場に残っていたそうでぶふふ・・・。」あぁあ、バレた!

後日、この失敗の余韻も冷めやらぬうちに、わたしは次の出張先から、スタッフに電話をいれていました。「ごめん。逆行きの特急に乗っちゃった。札幌に戻るの遅れます・・」。

もうすぐ春ですね。

■引っ越し(2002年4月29日)

事務所を引っ越ししました。前のところとのつきあいは、けっこう前にさかのぼります。

四年前、私は地域のいろんなボランティア活動を紹介するフリーペーパーを作ろうと思いたちました。

いろんな人に話してまわったら、「モリタさんがやろうとしていることはNPO(民間非営利団体)だよ」と言われました。

そこで、北海道NPOサポートセンターというところに行って、小林董信事務局長(すてきなオジサマ!)に事務所がないことを相談してみました。すると、なんと「ひと月一万円で事務所と机を一コ貸してあげる」というありがたいお答え。

わぁっ、ありがとうございます!と、スタートしたのが、私たちが発行している「月刊ボラナビ」です
(小林さん、感謝してます!)

北大がすぐ近くだったせいもあり、夜な夜な十代二十代の同志が集まって、助け合ったり、ケンカしたりしながら頑張ってきました。

思い出がたくさんつまった事務所だったのですが・・・ビルが売却されるということで、先日、泣く泣く別れを告げたのです。

ところが結局、ビル売却の話は立ち消えに。
「モリタさん、まだいても、よかったのに」。
えぇっ!?

■そば好き(2002年6月11日)

昼休み、そばが食べたくて外に出たのですが、お店は全部閉まっていました。そう、その日は祝日でした。そこで、そばはそばでも、コンビニのそば弁当を買ってみました。

ついていたのは温泉卵!ざるそばに生卵をつけることは家ではよくありますが、温泉卵は初めてです。割ってみると、黄身は固まっていて、白身はトロトロ。それがそばによくからみ、味の濃いつゆとのバランスがちょうどいいみたい。「おいしい!」。そばが大好きな私も大満足でした。

実は今日も忙しくて、お昼を食べ損ねてしまいました。十五時ごろになってようやく、訪問先の会社で話し合いが終了。もうおなかはペコペコで、私の頭の中は、そばのことでいっぱいです。恥ずかしかったのですが、その会社の方に聞いてみました。

「これからお昼なんですが、近くに、この時間でも開いているお店はありませんか?それも、そば屋さんじゃないと、こまるんです・・」

ちょっと笑われてしまいましたが、ラッキーなことに、その方もそば好き。お店を教えてもらい、そばの話でもずいぶん盛り上がりました。

ちなみに、これが「そば」じゃなくて、「NPO(民間非営利団体)」というキーワードだと、相手と話が盛り上がる可能性は、ほとんど無いんですよねー。

■モップの思い出(2002年7月20日)

アメリカ人の女子高生レイチェルは、NPO(民間非営利団体)の仕事をしているお父さんと一緒に札幌に来ていました。でも、彼女は特にすることもなく、退屈そうでした。「日本のデパートに行ってみる?」。声をかけると、彼女は喜んでうなずきました。

学生以来、英語にごぶさたしているわたし。映画の話をふってみましたが、言葉がうまく通じなくて話がはずみません。いつしかわたしたちは無言になっていました。

デパートの入り口にようやく着きました。彼女が見たい店を効率よくまわるため、配置図を確かめようと思いました。

「マップはどこかな」とつぶやくと、彼女は「えっ、なんで?」と驚き顔。案内役をかってでたわたしが不慣れなので、びっくりしたのかなと思ったとき、「あの人が持っているわ」と彼女が指さした先には、床をモップで掃除している人がいました。モップじゃなくて、マップだってば!笑って繰り返すわたしに、彼女も誤解に気づいて大笑い。おかげで、彼女とわたしの間の緊張もとけました。

3ヵ月後、わたしはアメリカで彼女のお父さんと再会。彼女から預かったというCDとバッグ、感謝のメッセージをプレゼントされました。そんなにたいしたことしていないのに。わたしにとっても忘れられない思い出になりました。

■仕事とプライベート(2002年9月22日)

「仕事をほめられて、社長から10万円もらったよ。今日はみんな、好きなだけ食べていいよ」

そのひと言に、飲み会は一気に盛り上がりました。気前のいい発言をしたのは、大きな会社に勤めながらわたしたちの民間非営利団体(NPO)をボランティアで、しかも、かなり一生懸命に手伝ってくれている40歳の男性です。

わたしは仕事を、事務所にいる間だけでは終わらせることができず、しばしば家に持ち帰ってしまいます。でも結局、手をつけないうちに眠っちゃうんですよね。

休日は人と会ったり、森林浴に出かけたりして遊びながらも、心は仕事のことを思って、罪悪感でいっぱいです。

はぁ、仕事とプライベートを充実させるのって、ムズかしい。

だから、社長賞をもらった男性のように、あくび一つせずいろんなことをいつも笑顔でカンペキにやれる人は、ほんとにすごいなぁと思います。

なにかコツでもあるのでは?
そう思って、他のスタッフの笑い声で騒々しい中、こっそり秘けつを聞いてみました。

すると、彼は飲んでいた手を休め、マジメな顔で教えてくれました。
「僕、実は三つ子だから、疲れたら入れ替わっているの。気づかなかった?」

ホ、ホント?

■むかしの家(2002年11月28日)

ふと思いたって、小学生のころ一年半だけ住んでいた町を訪ねてみました。今の家と同じ札幌市内で、自転車でたった20分の距離なのに、20年以上、一度も訪れていなかった町。行ってみると、住んでいた白い壁に赤い屋根の家も、小学校も、まったく変わっていませんでした。

わたしは不登校児で、毎朝泣いて、学校に行くのを嫌がっていました。行きたくなかった理由は覚えていませんが、家のドアや学校の門柱にしがみついて親を困らせたことや、学校でみんなが勉強している間、とても沈んだ気持ちで家にいたことを覚えています。

二年前、不登校の子や親を支援している民間非営利団体(NPO)の人たちと共同でシンポジウムを開き、不登校の悩みを乗り越えた子の話を聞いたり、相談できる場の情報を交換したりしました。集まった90人以上のほとんどが、不登校の子を持つ親。子どもを心配する表情は当時のわたしの両親と同じでした。

小学生だったわたしが、母と二人でボール投げをした公園も、買い物にいったスーパーも、以前と同じ場所にありました。つらいことばかりだったと思っていたけど、その分、家族の温かさを一番、感じた町だったと気づきました。ずっと足が遠のいていたのに、今度はなんだか、離れがたくなってきました。

■残業(2003年2月4日)

わたしたちの事務所が入っているビルの暖房は、夕方6時になると自動的に止まります。その後は電気ストーブをつけて残業しますが、一時間もすると寒さに耐えられないので、帰らざるをえません。仕事は進みませんが、おかげで、むちゃな残業をしなくてすむようになりました。

以前借りていたところでは、毎日、残業していました。わたしたちはボランティアなどに関する情報誌を発行している団体です。締め切りが迫ると、しょっちゅう徹夜していました。

ある締め切り前夜、風邪をひいていたスタッフが「続きは明日にすると言ったら怒る?」と聞いてきました。彼は無職で、わたしたちの情報誌の編集をボランティアで手伝ってくれていました。具合が悪そうでかわいそうだけれど、帰られては困ります。わたしが「うん、怒る」と答えたところ、彼はあっさり引き下がり、仕事をやり遂げてくれました。後日、印刷があがった冊子を見ると、編集後記にはわたしの実名入りで、その非情な会話のやりとりがしっかりと書かれていました。

そんな彼もその後、ほかの民間非営利団体(NPO)に無事、就職。昨日、久しぶりに一緒に食事をしました。わたしたちと同様、数少ないスタッフで膨大な仕事量をこなしているようです。これからはお互いの仕事が少しでも楽になることを願って、乾杯しました。

■名古屋の弟(2003年4月2日)

先日、名古屋のNPO(民間非営利団体)を訪ねました。

わたしたちは「月刊ボラナビ」、ボランティアをナビゲーション(案内)する情報誌を発行しています。四年前、それを知った名古屋の若者が、地元でも作りたいと、札幌の事務所を訪ねてきました。そして名古屋で、「月刊ボラみみ」(ボランティアみみより情報)を創刊。その時から姉弟のように付き合っていますが、彼らの事務所を訪ねるのは初めてでした。

びっくりしたのは、十代とおぼしき学生から80のおじいさんまでが、わいわいと集まり、一緒に校正作業をしていたこと。希望すれば誰でも参加できるそうで、スタッフに教わりながら色んな人が作業していました。

そんな手づくり感を大切にする一方で、住所リストや編集のためのパソコンソフトは、自分たちで独自に開発したものを使っていました。どれもこれも、見習いたいところばかりです。

−と、急に事務所が真っ暗に。
運ばれてきたのは、イチゴが載った大きなケーキ。忘れていましたが、わたしの誕生日でした。「どうして誕生日を知っているの?」と感激しながら、みんなの温かい拍手を受けて、ろうそくを吹き消しました。

遠く離れて生まれた弟は、優しく、大きく成長していました。

■新聞(2003年7月6日)

新聞を読むのに、どのくらい時間をかけていますか?わたしは30分。朝刊は2紙とっているので、一日一時間です。

読むときは、手元にハサミと蛍光ペン、鉛筆が欠かせません。読み終えると、いつも切り抜きが残っています。

切り抜く記事の多くは民間非営利団体(NPO)関連です。活動を始めた5年前に比べると、NPOのニュースは、ずいぶん増えてきました。しばらくお会いしていないNPOの方たちの様子を新聞で知る、ということもよくあります。

切り抜き魔になったのは高校生のころ。インタビューされている方の言葉に共感しては切り取り、働く女性のための記事に「将来、役立つかも」と思っては切り取り …。ですから、新聞は虫食い状態。家族が読み終えるまで、触らせてもらえませんでした。一人暮らしを始めて、新聞を一番に読んで切り抜いていいことに、感動したのを覚えています。

そういえば、わたしの人生を変えたのも新聞。ニューヨークに、たくさんのボランティア情報を提供するグループがある、と書かれていました。そのシステムに感心して切り抜いたのが、今の、ボランティア情報の無料誌を発行する活動につながっています。

さぁ、今日の新聞には何が載っているでしょうか。ページを開くのが楽しみです。

■職業(2003年8月12日)

130人の大学生の前で、民間非営利団体(NPO)がどんな活動をしているかについて講演をしました。話し終えたあと、感想や質問を集め、翌週、もう一度、話すという授業です。

集めた感想を読んで、あわてました。「すばらしい活動だけど、生活できなさそうなので、やれない」という内容が大半だったからです。実際は、NPOで働き、生活している人もいます。そこで、次の週は「お金」の話にもっと踏み込むことにしました。

NPOには寄付のほかに、助成財団や行政から、事業収入が(ある場合が)あります。そして、例えば、うちのNPOではスタッフ5人のほかに、そうした事業のために、短期間、働いてくれている人たちがいます。

NPOでの給料は多くありません。一般の会社に比べると、確かに安い。でも、地域に役立っていると実感できる仕事をこなし、お金ももらえるのはうれしいこと。男性の場合は共働きで、子育てを夫婦一緒に楽しんでいる人が多いようです。

うちには今、インターンシップ(就業体験)で小樽商大の女の子が来ています。彼女の夢は一般企業への就職だけど、NPOにも、ちょっと興味があるみたい…。

生きがいを実感できる仕事をして、それで生活もできる。とてもありがたいことだなあ、と私は感じています。

■おいしい交流会(2003年11月16日)

先日、とてもおいしいフルコース料理をいただきました。北海道の西に位置する桧山地方の食材で作られた料理です。

いま、わたしの民間非営利団体(NPO)は桧山に通い、生産者による食品開発研究会のお手伝いをしています。そこで、札幌の光塩学園調理製菓専門学校にご協力いただいて、桧山の農業と漁業の方を招いた試食交流会を札幌で開きました。

並んだのは、ホッケの焼きかまぼこを使ったお吸い物、塩ラム丼、パエリア風イカ飯、枝豆クロワッサンなどオリジナル料理ばかりです。

肉がジューシーなアイガモスモークもありました。「うちの田んぼは農薬を使わない代わりにこのカモを放しているんです」という農家女性の話。その働き者のカモは肉が引き締まって硬めだったので、柔らかくするのにどう工夫したかという先生の話。お二人の話を聞きながら料理をいただくと、それぞれの情景が頭に拡がり、ほかでは味わえないぜいたくな体験になりました。

生産者にとっては、自分たちが提供した食材がどんな料理に変わって出てくるか、とても楽しみなようです。生産者と調理者の意見交換の場が、もっと北海道にあるといいですね。わたしたちも、今度は、こうした会を生産地で開くのもいいな、と思いました。

■修学旅行(2003年12月17日)

昔、修学旅行先の京都で大恥をかいたことを思い出しました。

土産屋に、京都の名物お菓子「八ツ橋(やつはし)」が売られていました。ナマの八ツ橋は、ギョーザみたいに柔らかい皮であんが包まれています。でも私は、そのお菓子のことを知りませんでした。そこで「つぶあん入 生八ツ橋」と書かれているのを見て、「つぶあん人生やっつばし」って演歌のタイトルみたいですけど、なんですか?」とお店の方に聞いてしまったのです。当然、大きな笑いの渦が起こり、とても恥ずかしい思いをしました。

今、私たちのNPO(民間非営利団体)は、道外の修学旅行生を根室に呼び込むために、地元のボランティアガイドグループやカヌー事業者の方たちと一緒に、研究会を発足させています。先日、三重県の高校生が修学旅行で根室を訪れ、酪農体験をしたり、春国岱を歩いたりしました。そこで、私たちはその高校生にアンケートをとらせてもらいました。

回答を一枚一枚読んでいた私の手が、ある生徒の感想文で止まりました。「イカ飯が無かったのが残念だった」

根室でもイカはとれるけど、道東にイカ飯を期待してくる人がいるなんて!遠方から来る人は、地元に新鮮な驚きを与えてくれますね。

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