【フィリピン・セブの小学校教科書】日本軍による戦争犯罪はどう教えられているか

戦争イメージ

フィリピン・セブの私立学校に通っている私の子供(小学6年生)の社会の授業で、日本の占領下の事が取り上げられていました。

日本とフィリピンの間には、過去に辛く悲惨な歴史がありました。

フィリピンは現在は親日国として知られており、現地の人は好意的に接してくれるので、住んでいる私たちは、なかなかそのことに思いが到りません。

しかし、たまたま子供の教科書を目にして、日本がフィリピンの歴史に深く関わっており、学校でもしっかりそのことを教えているのだと分かりました。

今では想像がつかないくらい、戦後の対日感情は最悪だったと言われますが、なぜそうだったのか現在を生きる私たちも理解する必要があります。

ここでは、小学6年生の授業で、日本が関わっていた歴史がどのように教えられているかお伝えします。

目次

小学6年生の社会(Social Studies)について

フィリピン小学校の教科書
小学6年生の社会科の教科書

フィリピンの小学校の科目の1つ「Social Studies」は、日本の社会に当たります。
日本では、日本の社会について学ぶように、Social Studiesはフィリピンの社会について学びます。

今回、ご紹介する教科書は、フィリピン・セブの小学6年生(Grade6)の教科書「PHILIPPINES’ PRIDE」というタイトルです。

フィリピンでは、全ての科目を英語で学ぶので、Social Studiesの教科書も内容はフィリピンについてですが、英語で書かれています。

この教科書では、最初にフィリピンの地理的な位置付けと、1800年代~現在に至る歴史を学びます。

日本の占領下についての記述

フィリピン小学校の教科書

教科書では、「アメリカの植民地時代と第二次世界大戦」(Persistence During the American Colonization andthe Second World Waar・1899-1945)という章の中に、「日本の占領と第二次世界大戦」(The Japanese Occupation and the Second World War)というユニットがあります。

さらにその中の3つのレッスンで、日本の占領についての歴史を学びます。

それぞれのレッスンについて、概要をご紹介します。

レッスン1・日本によるフィリピンの侵攻

フィリピン小学校の教科書

レッスン1では、第二次世界大戦中、1941年の真珠湾攻撃の後、アメリカの植民地だったフィリピンを日本が侵攻し、占領した時の様子が紹介されています。

日本人は、フィリピンの占領は、アジア太平洋地域においてアメリカを弱体化させることにつながると考えていたとされています。

ここでは、日本軍による次の2つの戦争犯罪を取り上げています。

バターン死の行進(Bataan Death March)

死の行軍
バターン死の行進ルート(Wikipediaより)
フィリピン小学校の教科書
バターン死の行進ルート(教科書より)

教科書では、第二次大戦史上の残虐な戦争犯罪の一つとして知られている「バターン死の行進」(Bataan Death March)が解説されています。

日本軍は1942年4月9日、ルソン島中西部のバターン半島を占領。そして日本軍に降参したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜にまともな食料や水も与えず、オドネル収容所(Camp O’Donnell)のあるターラック州まで行軍させました。歩けなくなった捕虜は日本人に殺されます。4月15日に56000人の捕虜がキャンプに到着したと記載されています。

人数の詳細や期間については、諸説あるようですが、一説では、アメリカ軍・フィリピン軍の捕虜7万6千人を100キロにわたり行進させ、約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労などで死亡したとされています。

従軍慰安婦(Comfort Women)

従軍慰安婦問題は、日本は、占領したアジアの国で、軍の慰安所(comfort station)の存在を半世紀にわたり隠蔽してきたことが明らかになったと記載されています。

そして、匿名性とサポートを保証されたフィリピン人の被害者は、その体験を明らかにしており、教科書では2人の女性がの例が紹介されています。

1人は、15歳の時に複数の兵隊から毎日レイプされた女性。もう一人は12歳の時に駐屯地で1カ月間、慰安婦として送られた女性です。

また、日本軍を助けると装って、街にとどまっていた慰安婦のフィリピン人女性は、ゲリラへの協力者と疑われ拷問されたことも記載されています。

小学6年生の教科書に、レイプなどの犯罪行為について記載されていることは驚きでした。

レッスン2・フィリピンにおける日本の占領下の統治

フィリピン小学校の教科書

レッスン2では、1942年から3年間の日本のフィリピンを統治時代について記載しています。

日本ははじめ、軍がフィリピン人の行動を厳しく制限。マニラでは戒厳令が宣言され、外出禁止や武器の没収などが行われました。
また、アメリカの影響を受けないようラジオなどは禁止。経済、教育や社会活動などは日本の管理下に置かれました。
政策は大東亜共栄圏に基づいたものでした。

その後、1943年10月14日、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国の独立を認めました。
しかし、これは日本が前から行っていた傀儡政権づくりの一環で、実際は日本の管理下にありました。

教科書では、日本の傀儡政権がつくられる過程について詳しく説明しています。

レッスン3・日本の統治下の生活

フィリピン小学校の教科書
フィリピン小学校の教科書

レッスン3では、1944年のマッカーサーが戻り、日本が降伏するまでの日本の統治下の生活について記載されています。

戦前はアジアで2番目、あるいは、日本より豊かだったなどと言われているフィリピンの生活は、日本の占領後、大きなダメージを受け、それまでとは程遠いものとなってしまったこと。また、戦闘や戦争犯罪などによって100万人以上の死者が出たとされています。
元々は1946年にアメリカから独立するはずでしたが、日本の占領によって運命が大きく変わりました。

この教科書では、生活のあらゆる面において戦争のダメージが及んだこと。また、日本が貨幣から農業、産業など様々な営みを支配し、生活が過酷な状況となったことを具体的に説明しています。

日本の支配下でのフィリピン人の扱いについて「日本の支配下の暗日々では、多くの人が非人間的な扱いを受けた。多くの人が栄養失調で病気になり、子供や女性に対し犯罪行為が行われた。そうした日本人の虐待が、抗日ゲリラが生まれていった大きな理由だった」と書かれています。

抗日ゲリラはアメリカ軍に協力し、情報を送っていたとされています。

この教科書では、意外でしたが、マッカーサーがフィリピンに戻り、日本げ降伏するまでの事はさらっと触れられている程度でした。
膨大な人命と物理的被害があったとされる日本軍が降伏するまでの、アメリカと日本、そしてフィリピンの抗日ゲリラも加わった激しい戦闘については、ほとんど書かれていませんでした。

まとめ

今は、コロナの影響でオンライン授業が行われています。

小学6年生の息子の授業で、先生が「Japanese〇〇〇〇」としきりに話しているのを聞いて、「何だろう」と教科書を見せてもらって、日本の占領時代について教えられていることに気づきました。

小学校で日本の占領の歴史がそれなりにページを割いて教えられていることにちょっと驚きましたが、よく考えると、フィリピンの歴史上、大きな影響を及ぼしていることなので納得がいきました。

日本では、小学校ではもちろん、中学、高校でもほとんど教えられることはないと思います。

戦争中で仕方がなかった事とはいえ、フィリピンをはじめアジアで非人間的行為があったことは事実だと思います。そして、その歴史の延長線上で生きる子供たち、私たちにとって、過去を学ぶことは大切なことと思います。

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