子供の英語力が心配になった
なぜ子供の英語教育のためだけに海外であるセブ島(フィリピン)に移住したのかとよく聞かれます。そのたびに、日本で子育てをしていた時の焦りと苦しみを今でも思い出します。
我が子の英語の必要性を感じるようになったのは、2008・10・12年に3人の子が生まれてからでした。
それまでの私は、札幌の大学を卒業して、NHKテレビの契約アナウンサーとして4年間働いた後、1998年にNPOを立ち上げ、社会的事業を続けていました。そのうちの一つ(お独り様会)は、NHKニュース等でなんどか全国に紹介されています。
34歳でサラリーマンの夫と出会い、結婚。36歳から40歳までに3度も高齢妊娠、出産の繰り返し。忙しいNPO運営と両立で、無我夢中でした。
でも、3人目の出産が無事に済むと、私の頭の中には、我が子の英語に関する悩みが占めるようになりました。
企業は英語力が無い若者に内定を出さなくなっているのに、どう育てても、我が子にネイティブスピーカー並みの英語力をつけてやることはできないからです。
私はこれに、とても苦しみました。バイリンガルにするために、あの手はどうか、この手はどうかと思いめぐらせても、結局どれもたいした効果は期待できず、気持ちはどんどん落ち込みました。
セブ島親子英語留学の広告と出会う
2014年2月、パソコンでインターネットを使っていた私の目に、ある広告が飛び込んできました。
「セブ島親子英語留学」。
それは、セブ島に親子が数日~数週間滞在して、親と子のそれぞれに適した英語授業を受けられるプログラムのことでした。アメリカやオーストラリア、ヨーロッパより格安です。日本から近いので、気軽にリピートされている家族もいらっしゃるようです。
でも、この広告を読んでいたときの私は、お恥ずかしながら
ーーへ~、「セブ島」ってフィリピンなんだ。
ーービーチリゾートで有名なところだよね。
ーーどうしてそこで「英語」なの? え、フィリピンって英語が公用語なの?!
程度の知識レベルでした。

そして結局、この広告をユニークだとは思いましたが、私が申し込むことはないと確信しました。
うちの子の年齢は、当時5歳と3歳、1歳。3人の子を連れた親子英語留学なんてお金がかかりすぎますし、仕事を休めない夫の手は借りられるはずなく、といって、私一人で子どもたちを連れて行くのは無理だからです。
いえ、最大の問題は「幼い子が数日や数週間の短期留学で英語を習得できるはずがない」と確信していることでした。使わない言語はあっという間に忘れてしまうので、子どもの英語力向上を期待して参加するのは無理があるのではないでしょうか。
子どもの留学は、異国が実在することを認識し、空気感・見えるもの・聞こえるものすべてに新鮮さを感じ、初めての食べ物を口にし、日本語を話さない人々と触れあう経験ができる良さはあるでしょう。
英語圏の国に行くことで、英単語の一つ二つは覚えるかもしれません。名所を見てまわる旅行に比べ、移動に費やす時間が短く、異国でありながら学校という居場所が与えられ、楽しめる要素も多いです。
英語力だけを目的にせず、観光、思い出づくり、子供の経験値を広げることと兼ねるなら良いと思います。日本語が通じない人たちの存在や、英語を使えば意思が伝わる楽しさを体験することは、子供の学びとなるはずです。
でも、それは私を日々苦しめている悩みの解消とは、かけ離れていました。
私は20歳の時、国費交換留学生に選ばれて一年間アメリカの大学で勉強しています。北海道大学の経済学部生の中から選抜で、希望者が少なからずいましたが、TOEFLの点数で上位3人に入り留学できました。
つまり、英語力があると見込まれてアメリカに出発しました。でも結局1年間、最後まで、講義だけではなく、日常会話にも苦労しました。しかも、日本に帰国すると、英語力はあっというまに消え去りました。
今は当時と違い、英語力がなければグローバル社会で生きていけない時代。日本語だけで日本人を相手にしているだけで生計が成り立つとは思いません。そう考えると、我が子と一緒に、なかばお遊びのために海外に行くなんて考える余裕はありませんでした。



日本で英語を習得できないなら英語圏に移住すればいい!
でも、なかなか「セブ島親子英語留学」の広告から気持ちが離れず、我が子3人を連れてセブ島に留学する姿をぼんやりと思い浮かべていました。
――楽しそうではあるけど・・・。
――我が子はまだ小学校に入っていないから、学校の勉強の遅れを心配せずに留学することはできるけど・・・。
その時、突然「セブ島に移住すればいい」と思いつき、体がカミナリに打たれたようにびくっと硬直しました。あまりに突拍子のない考えです。
マリーアントワネットが「パンが無いなら、お菓子を食べればいい」と言った(といわれている)話が有名ですが、「留学で効果ないなら、移住すればいい」は、自分でもあきれてしまうほど荒唐無稽(こうとうむけい)な発想でした。
でも、本当にバカバカしいかしら・・・?
日本語が通じない環境なら、
お友達が外国人なら、
英語で勉強する学校なら、
数年後には我が子は英語をマスターするに違いない。
それから3か月後、私は夫と子どもたちと共に、移住先のセブ島に向かう飛行機に乗っていました。(続く)
太郎が英語を話し出すまでの経緯
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- 初期は子供も大変!言葉もバスケもできない~英語教育移住日記③
- 楽しみは日本人ママ友とおしゃべり~英語教育移住日記④
- 焦りは禁物。学習発表会は親子で号泣~英語教育移住日記⑤
- 次郎はマイペースで慣れていった~英語教育移住日記⑥
- 親が子供の英語力を心配するのは世界的な傾向~英語教育移住日記⑦
- 4ヶ月が経ち、「幼稚園は楽しい」と言うが~英語教育移住日記⑧
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