子供のために英語教育移住を2014年からしている理由

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子供に英語力をつける唯一の確実な方法は、「子供が幼いうちに英語圏に移住して、英語で教育を受けさせること」だと私は考えています。

我が家の場合は、フィリピン・セブ島です。理由をまとめてみたいと思います。

別記事「子どもに英語が必要な8つの理由」もぜひご覧ください。

目次

英語を「勉強」させる時間は無駄だから

英語は「道具」です。目的(ゴール)ではありません。

机上で長年勉強しても、実践しなければ使いこなせるようにはなりません。
そして、道具を使いこなせてようやく、目的(ゴール)に意識を集中できます。

道具の例として、パソコンで考えてみます。

手書きより、パソコンのほうが文を書くにはずっと快適で、雄弁になれるという方は多いでしょう。
きっと仕事や学業、プライベートで使うなかで操作能力を高めていったのだと思います。
実践で使わずに何年も勉強しただけでは、パソコンを使いこなせるようにはなりません。

そしてヘビーユーザーになれば、「今、パソコンを使用している」なんてことには気をとられません。

書いている内容(目的・ゴール)に集中できているはずです。

では、英語はどうでしょうか。海外就職研究家を称するもりぞおさんは、「英語を喋っているときは、英語を喋ることに脳みそのCPU(シーピーユー)の80%近くを使ってしまう」と表現しています。

CPUとはパソコンの判断機能。その8割を「英語で話すこと」にとられたら、本来、行うべき重要な作業はおろそかになります。

母語ではない英語で会話をすることは、性能の悪いパソコン、つまり、頻繁にフリーズしたり真っ白になってデータが消えてしまったりするパソコンで文章を書かされるイメージに例えることもできそうです。

英語では、自分のいろんな発想や経験などを盛り込んで内容豊かに話す余裕はなく、頭の中が真っ白になって言葉が出なくなるのを避けるのがせいぜいです。

「日本語で考えてから、英語に翻訳して話す」手順を踏む人も多いでしょう。
それはまるで、まず文章を手書きし、それを横目で見ながらパソコンに打ち直しているみたい。
英語と出会って10年、20年、50年たってもそれでは、あまりに悲しすぎます。

また、英語で勉強するのではなく、英語を勉強することにもむなしさを感じます。

例えば、「ビジネスシーンでよく使われる英語表現」を英会話学校で習うとします。
そこで繰り広げられる、面白くもない、感動もない架空の話に、私たちは大切な時間を使って必死に取り組みます。

そこに、ビジネスの知識や情報としての学びは一切ありません。
言い回しを聞き取ったり覚えたりするだけです。
それができる、できないに一喜一憂し、時間は過ぎていきます。

日本人の生徒同士がロールプレイング(役割演技)で練習しているところなどは、「学芸会の劇の練習」に見えなくもありません。

その間、英語ネイティブの国の現役世代は、リアルなビジネスの展開に力を注いでいます。

また、日本人は英語の勉強ばかりしているのに上達しないので、諸外国で笑われているかもしれません。

「日本人ときたら、英会話にカネを湯水のごとくつぎ込んでいるのに、あのざまだ。あいつらの英語ときたら、何を言っているのかさっぱり分からない」と。

でも私たちは、英語の勉強を止めることはできません。

世界においては、英語が話せてようやくスタートラインに立つことが許されます。

英語というパスポートが無いと、経済的自立が困難になったり、経済的に潤沢であっても行動範囲がせばまったりなど、自分らしい人生を歩むことができなくなるからです。

14年、サッカー日本代表の本田圭佑選手がセリエAの入団会見で記者の質問に英語で対応し、話題になりました。

饒舌(じょうぜつ)ではありませんでしたが、本田選手らしく率直でシンプルな英語で素敵でした。
しかし、ご本人は後で「日本語ならあと3時間は話せた」とおっしゃったようです。

ノーベル賞を受賞した日本人も、英語で会見することがあります。彼らは、自身の専門分野で世界トップレベルに立ちました。
相当な時間とエネルギーを専門分野に費やしつつ、並行して、英語を「勉強」されたのだと思います。
英語ネイティブスピーカーになる環境で生まれたわけではありませんから仕方がありません。

すごいなあと感心しますが、勉強しなくとも英語を話せるネイティブスピーカーだったら、もっと専門分野に費やす時間を確保できたかもしれないのに、もっと言いたいことを海外にアピールできたかもしれないのに、と残念です。

17年12月第一子発表会
17年、フィリピンセブ島の小学校のミュージカルで。左から3番目が、長男(当時9歳)。他はフィリピン人や韓国人のクラスメイト。同じクラスに日本人はいませんでした。

日本の優等生の英語は通じないから

期待したい英語レベル

子どもたちが日本で暮らして英語を話せるように成長するなら、前述のように多大な時間の無駄を覚悟しても努力しようと思えるかもしれません。

でも、英語を話せるように成長する可能性はほとんどありません。
さらに、その英会話力を「ネイティブスピーカー並みに」と目標設定するなら、可能性はほぼゼロでしょう。

ところで、「日本人がネイティブスピーカー並みに英語を話せる必要はない」とおっしゃる方は多いと思います。でも、本当にそうでしょうか。

現代と違い、今の子どもたちは将来、仕事や勉強を英語でこなすことが求められます。

でも、ただでさえ難しい仕事や勉強に言葉のハードルもあったら、難しさは何倍になるでしょうか。

私は我が子に、将来の仕事や生活に欠かせない英語に対して、道具を使っているという意識が無い状態をスタートラインとし、内容(目的・ゴール)に集中できるようになってほしいと考えています。

でも、日本に居ながらネイティブスピーカー並みに英会話ができるようになる子は1%もいません。

私の学生時代を思い浮かべても、第二次ベビーブーマーのため高校には一学年10クラス約400人もいましたが、英語をネイティブスピーカー並みに話せる人は一人もいませんでした。

英語のテストは、「英会話は全くできないけれど勉強としての英語は得意」な私を含む常連メンバーが、上位者としていつも貼りだされていました。

留学で英語力不足を痛感しても遅い

英語の勉強が得意な私は、北海道大学経済学部に進学して3年目の20歳の時、文部省(当時)の奨学金による交換留学生に選抜され、アメリカで一年間暮らしました。その時の経験を少しお話ししたいと思います。

北大3年生だった92年のある日、私は学内の掲示板で交換留学制度の公募があることを知ります。学費免除、国際往復航空チケット代と生活費毎月13万5千円支給の厚遇で、北大が姉妹提携しているアメリカオレゴン州の州立大学で一年間学ぶことができ、取得した単位は北大で取るのと同様に認められるというものでした。

「就職活動で有利になりそう!」という下心だけで、私はそれまで全く関心のなかった海外生活を目指し、奮闘することになりました。

応募条件を見ると、TOEFL(トーフル)を事前に受験し、その得点を申請することとなっています。
TOEFL(外国語としての英語のテスト=Test of English as a Foreing Language)とは世界で広く受け入れられている英語能力試験で、150 ヶ国 1万1千以上の大学や機関に認められています(TOEFL公式サイト 参照)。

私は90年代当時、TOEFLの存在すら知りませんでした。留学申請の締切日までに受けられるのは一度だけということが分かり、初めて受けるTOEFLで絶対に高得点をとらなくてはならなくなりました。

受験勉強の英語と大きく違い、ヒアリングが中心です。英語を聞いたことがほとんどない私に、ヒアリング力は全くありません。

急いでウォークマン(携帯型ステレオカセットプレーヤー)を買いに行き、通学中も食事中もとにかくずっとTOEFL受験対策用の英語テープを聞きました。

まぐれとしか言えませんが、勝手がよく分からない初めてのTOEFLを私はうまくクリアし、当交換留学制度に申請した北大の数十人の学生の中で3番目の高得点でした。
3人の選定枠にぎりぎり潜り込めそうです。

しかし要領がいいだけの私は、選抜のための面談で泣きを見ました。

実力不足が、はっきり言えば英会話力ゼロであることが明らかになったからです。
西洋人の面接官にあいさつもできず、質問も全く聞き取れず、回答も当然できず、まさに「お話にならない」状態でした。
その場にいた先生と面接官があきれて顔を見合わせたのを見て、恥ずかしくて悔しくて涙が止まらなかったのを覚えています。

どんなに文法、単語、ヒアリングと一つ一つのテストで高得点をとれていても、外国人とコミュニケーションできるわけではないのです。

スピーキングの練習を全くしていなかったせいもありますが、そういった各パートの専門性を高めるのとは別に、外国人と英語でコミュニケーションする経験が私には完全に不足していました。

当時の私は西洋人を見かけたことすらほとんどなく、目をあわせて向き合うだけでもきついのに、重要な面談の場で英語で質問されるのですから頭の中はパニックでした。

先生たちは、こんなレベルの私を選ぶことを相当心配されたようですが、TOEFLの点数順位を考慮し、留学の権利を与えてくれました。

出発までの毎日、私は英会話学校に通いました。そこの外国人の先生は、生徒に英会話力が無くても、仕事として気長に熱心に接してくれます。

日本人特有のカタカナ読みのアクセントにも慣れていて、聞き取ってくれます。

そのため私は英会話学校で不便を感じることはありませんでした。でも日本を出てからは違いました。

海外に行ったことはなく、初めての渡航が留学となり、私は一人で成田空港からオレゴンに飛び立ちました。

ところが「機体トラブルのため、急きょカリフォルニアに一時着陸する」と機内アナウンスがかかったのです。

私は青ざめました。機体トラブルも怖いですが、なによりオレゴンに到着する時間が大幅に遅れることが恐怖でした。
オレゴンの大学学生課に直行し、その晩からお世話になるホームステイ先を紹介してもらうことになっていたためです。

まずは大幅に遅れると大学に伝えなくてはなりません。
到着が学生課の終了時間を超えるなら、その対処法も相談しなくてはなりません。でも、英語で電話をかけたことすら無いのに、そんな話し合いをするのは不可能でした。

機内でそれを悟った私は、隣に座っていたアメリカ人男性に筆談交えて事情を伝え、助けを求めました。
ありがたいことに彼が私に代わって、一時着陸中に空港の公衆電話から学生課に電話し、遅れる私を待つように職員に伝えてくれました。

こうして私は留学最初のトラブルを乗り越えます。

でも、「電話をかけて事情を話す」という簡単なこともできない自分が恐ろしくなりました。

日本では、英会話学校の帰り道に「今日も上手に話せなかった」といつも落ち込んでいましたが、もう、そんなレベルではありません。

これからのアメリカ生活では、英語で会話ができなければ自分の命すら守れないと感じたのです。北海道においては北大生というだけで一目置かれることもありましたが、アメリカでは私の思考レベルやプライドは20歳のままなのに、周囲にとっては小学生よりも話が伝わらない大人なので、泣きたくなるような経験が続きました。

私のTOEFLの得点は、英語を母語としていない外国人学生のための補習授業「ESL(English as a Second Language)」を履修するには高すぎて免除されてしまいました。

高得点のおかげで留学できたのですが、初日から、英語ネイティブスピーカーの中に非ネイティブは私一人で、経済学などの講義を受けることが決まりました。

発表と対話の多いアメリカの大学です。私が「ひきこもり」になったとしてもおかしくなかったでしょう。

でも意外にも、留学生活は楽しいものとなりました。日本からの留学生には毎週一回、外国語「日本語」実践クラスの進行を先生として担当することで単位が与えられるプログラムがありました。

ここでは先生も生徒も英語を一切話してはならず、日本語だけを使います。

そのため、いつもはものすごい早口で堂々と話す英語ネイティブスピーカーの学生たちが、「先生」である私の日本語の簡単な質問(「学校には何で通っていますか」など)に、たどたどしく間違いだらけの日本語で回答します。

その回答を聞いて吹き出さずにいるのは、正直、大変でした。

でも「私の英語もこのレベルで、周りのみんなは吹き出すのをこらえているんだ」と思うと、こらえきれないと思った笑いがあっという間に引きました(苦笑)。

そして私は、このクラスを履修したアメリカ人との縁を最大限に生かすことにしました。

英語で行われる一般の講義では、教室に入ったらまず私の日本語クラスを履修している学生を探しました。

そして有無を言わさず隣に座り、先生が黒板に書く読みづらい筆記体を教えてもらったり、何が宿題として出されたかを確認させてもらったりしました。

つまりこの留学生活で、私と英語ネイティブスピーカーの学生が、先生役と生徒役、サポート役とサポートされる役を交代でになう形となりました。

さらに、互いの文化や言葉に興味を持っていることが後押しして、私は数十人のアメリカ人と一気に親しくなっています。

この輪に、韓国人や日本人留学生が加わって、仲の良いグループができました。

毎日のランチや授業の空き時間にはカフェテリアの定位置に集まり、文化や言葉、宿題を教えあったり、週末にはみんなで一緒に遊びに出掛けたりするようになりました。

でもアメリカ人など外国人と親しくなって、このグループ内での意思疎通が容易になり、互いのことも分かり合えるようになったにもかかわらず、傍目(はため)で見るより私の英語力は向上していませんでした。

外国人の友達がたくさんいる日本人なんて、以前の私なら「あの人は英会話が相当できる」と誤解したでしょう。

でも現実は、言葉で完璧に理解し合えなくても友達になれます。互いが相手に友情を抱いていれば、飽きることなく楽しく一緒に過ごせます。

親友となったメアリーは、アメリカで生まれ育ったネイティブスピーカーですが、ご両親は韓国人です。

彼女の両親は英語が得意ではないそうで、そのためか彼女はいつもゆっくり易しい英語で話してくれました。
彼女と私の間でおしゃべりが尽きることはありませんでした。

条件がそろわなければ、バイリンガルにはなれない

留学中、私は生まれて初めて「英語と日本語のバイリンガルスピーカー」と出会いました。

両親は日本人ですが、アメリカで育ったAくんです。彼は日本語も英語も発音・文脈共に完ぺきで、切り替えも上手。
日本人と普通に日本語を話していても、知り合いのアメリカ人が通りかかると、ペラペラペラ~とすぐに英語が出てくるので、私には羨ましくてなりませんでした。

むしろ彼にとっては日本語=外国語で、漢字の読み書きは完ぺきではなく、日本語上級クラスを履修していました。

彼とはいつも日本語で話しました。アメリカの言葉や文化について、なにを質問しても完璧な日本語で回答してもらえるので、すっきりしました。

彼は家庭ではご両親と日本語を話し、家庭外では英語で過ごすことで両言語をマスターしています。

道具(両言語)を「勉強」したのではなく、自然にいつも使うことで使いこなせるようになっているのです。幼少期までは日本語が母語で、途中で英語に替わったのでしょう。

幼い時から複数の言語に触れると混乱し、能力や性格に悪影響があるというデマがあります。
でも複数の言語を操る国民ばかりの国は多数存在します。もちろんAくんにも、そんな悪影響は全くありませんでした。
学力が高く、社交性があり、今は世界的に有名な大企業のアジア圏域マネジャーとして活躍しています。

私にはAくんがとても羨ましかったです。私ももし日本語が完ぺきなまま英語もパーフェクトに扱えたら、アメリカでできた友達ともっと意思疎通できて楽しい生活を送れたことは明らかです。

私は留学中、相手に聞きたいことや話したいことがあっても、難しくて長い英語になりそうで、しかも通じないだろうと思う時は話すのをあきらめていました。

バイリンガルとして育つ環境とは無縁だった私には、努力でどうにかなるものではありませんでした。

ある一定の年齢を過ぎると、言語獲得や第二言語習得が不可能になるという説があります。

これを「臨界期仮説」といいます。その臨界期が何歳なのかには諸説あり、出生から8歳までとか、思春期(12~15歳)までとか言われています。

個人差・環境差があるため一定の年齢で線引きするのは不可能ですが、臨界期が意味する「言語習得には年齢による制限がある」という考え方は信憑性があります。

外国語の学習においては、国外へ移住した家族なら親より子どものほうが外国語を早く上手に使いこなせるケースが多く見られるからです。

バイリンガルになるには、臨界期以前から、二つの言語をシャワーのように大量に継続して浴び、かつ、その言語を使用しながら育つ必要があります。

「やる気になれば何でもできる」なんて言葉がありますが、バイリンガルに関して言えば、本人が意思決断を行なえない幼いうちに環境が整えられていなくては時遅し(ときおそし)です。

私は留学中「今さらどんなにがんばってもネイティブスピーカーにはなれない」と身を持って悟り、悔しさとあきらめの気持ちでいっぱいになりました。

帰国後は英語と無縁の20年を過ごしましたが、3人の子を出産して英語教育を気にかけるようになると、突如として当時の記憶があふれ出し危機感を持ちました。

教育費をいくら貯めても、英語は話せないから

「カネ」では解決不能

「英語ができないと経済的自立が困難になる」「日本の教育では、英会話力は身につかない」と私は考え、当然「我が子をどうしようか」と悩みましたが、親としてやってあげられることは見当たりませんでした。

子どもがやる気になって「英語をがんばる」と言い始めたら、英語の塾、教材、進学、留学などにお金がかかります。そのため、「親としてはまず教育費を貯めよう」と考える方は多いと思います。

でもそれは、使いこなせる英会話力を身につけるには不十分です。

いえ、はっきり言えば、不十分ではなく「見当違い」です。使いこなす英会話力を身につけるために欠かせないものは、留学でも優れた英語教材でもありません。

たった一つの必要なことは、幼い時から毎日継続して、たっぷり英語で話しかけられ、自らも英語で話すチャンスが与えられた環境です。

子どもにとって、その話し相手が「英語の先生」では、直(じき)に興味は失せるでしょう。

話し相手は、日本語が通じない親や友達など、「どうしても意思疎通したい」+「身近な」人でなくてはなりません。

そのため、英語ネイティブスピーカーと日本人の国際結婚カップルから生まれたお子さんで、家庭では皆が英語で会話しているなら、日本で生まれ育っても、英語も話せるバイリンガルに育つことが多いようです。

日本人同士の夫婦で、おおむね日本に居ながらお子さんをバイリンガルに育て上げた方もいます。

バイリンガルを育てる―0歳からの英語教育 (くろしおΧブックス)」を著した湯川笑子氏や、「子どもをバイリンガルに育てる方法」の木下和好氏は、家庭では子どもたちに英語だけで話しかけたり、英語の本を読み聞かせて英語で感想を言いあったりしたそうです。
でも、日本で子育てをしている保護者で、こんな風に子どもに英語で働きかけられる人は1%もいません。

子どものために教育費を貯めておけば何とかなると結論付けている大半の保護者は、本当にその決断が適切かを考えるきっかけがたまたまなかったのではないでしょうか。

教育費を用意することは、子どもの人生のチャンスを広げることにつながります。でも、英会話力に絞っていうなら、子どもが成長してからお金でどうにかしようとするのでは手遅れです。

時機を逃した後にいくらお金を積んでも、バイリンガルにはなれません。早めに適切な一手を打つ必要に迫られています。

早期英語教育の問題点

英語の重要性を認識し、幼いうちから英語教育を始める家庭が増えています。

0~12歳を対象にした英語教育は「早期英語教育」と呼ばれ、以前は口にするのもはばかられる雰囲気がありました。

しかし、物議をかもしだした「小学校における英語教育」が始まり定着したことで、一転してご法度感が薄れ、なんだか国のお墨付きを得て早期英語教育に皆が取り組み始めたようにも見えます。

英語が苦手な日本人保護者にとっては、早期英語教育をうたう業者はありがたい存在にすらなっています。

でも、日本で行われている早期英語教育は、英会話力アップにはつながらないと私は考えます。

英語に触れる時間も密度も不十分で、かつ実践が伴わないからです。

子どもは道具としての英語をすぐ覚えますが、実生活で使用しなければすぐに忘れます。

「日本語が通じない友達と毎日遊ぶ」といった英語が必要な環境を日本では与えられません。

十年以上にわたるアメリカ滞在で千人以上の日本人の子どもに出会い、「英語を子どもに教えるな」を書かれた市川力氏は、子どもをバイリンガルに育てるには、「動機づけ」「適切な環境」「適切な方法」のすべてがそろっていなければならないと指摘しています。

これらを継続して与えられない早期英語教育で、英会話力は身に付きません。

日本で英語力アップの環境は整えられない

就学前からずっと、以下のものを子どもに「たっぷり」与え、興味を引き付けておくことは日本にいながらできるのでしょうか。

  • 英語しか話さず、日本語を理解しない家族や友達
  • 英語で書かれた本
  • 英語で学び、考えたり表現したりする機会

日本のあちこちに、インターナショナルスクールが設置されています。

文部科学省はインターナショナルスクールについて「法令上特段の規定はないが、一般的には、主に英語により授業が行われ、外国人児童生徒を対象とする教育施設である」「インターナショナルスクール等に通っても就学義務の履行とは認められない」としています(インターナショナルスクールの中には、学教法第一条に規定する学校として認められたものもあります)。

日本にいる日本人夫婦で、義務教育を放棄し、入学条件である「ネイティブスピーカーとして年齢相応の英会話力」を子どもさんにつけておける家庭は、全家庭に占める割合としてはほぼゼロでしょう。

英語のイマージョン教育を取り入れている学校も存在します。

イマージョンとは英語の「immerse=浸す(ひたす)」が語源で、「その言語に浸りきって習得する」という意味です。英語イマージョンの学校では、授業中も授業外の時間も英語が使われます。

勉強として英語を学ぶのではなく、英語で他教科を勉強しながら言葉も学んでいくプログラムです。
小学一年生または中学一年生から開始し、少なくとも卒業まで実施されるようです(ウィキペディア参考)。

ただ、イマージョン教育を行っている学校は、インターネットでは全国に10カ所程度しか見つけることができませんでした。

そして、費用を公開している6カ所の平均を計算すると、小学一年生で月謝10万円を超える高額なものでした。それでもインターナショナルスクールとは異なり、日本で生まれ育ったお子さんにも門戸が開かれている場合が多く、ニーズはあるようです。

一方、英語の塾や教材は多大に存在します。でも、日本語が通じない相手にどうしても伝えたくて英語を話したり聞き取ったりする時間はほとんどありません。

日本語で英語を学ぶことが多いので、脳の中で日本語がでしゃばりすぎてしまい、英語で思考して発話する「英語脳」とでも呼ぶべきものは育ちません。

では、子どもの英語力アップのために、手はないのでしょうか。

私は、ホームステイのホストファミリーとして外国人を受け入れるのはどうか検討したことがあります。

私が高校生の時、父の仕事の関係で北欧フィンランドの若い女性が我が家に一週間ほど滞在したことがありました。私は彼女を姉のように慕い、とてもいい思い出になりました。

でも、いま振り返ると、彼女との出会いを機に英語を勉強しようとは思いませんでした。

単に「日本語が通じない人が存在する!」「そんな人とも心は通じ合う」ことを体験する良いカルチャーショックを受けたに過ぎません。

私がもしホームステイの受け入れをして、いらっしゃるのがたとえ英語ネイティブスピーカーであっても、我が子が英語を学ぶ動機付けにはならないでしょう。

日本でもっと外国人が増え、触れ合う機会があればいいのですが、なかなかそうはなりません。

ある日JRの車内で、ビジネスで日本を訪れたドイツ人男性の隣に座ったことがありました。

日本に外国人が少ない理由を聞いてみると、彼は「外国人に優しい国とは言えないから」と答えました。
先日まで滞在した上海で30分でできた海外送金が、日本の有名な銀行では3時間もかかり、しかも英語もなかなか通じなかったとあきれていました。

地元札幌の屋内遊園地で出会った西洋人一家にも話しかけてみました。子どもの年が同じくらいだったので、日常に共通点があって継続して交流できればと期待したからです。

でも彼らは外国人ばかりの寮にお住まいで、お子さんたちは外国人専用の幼稚園に通っているとのことでした。私が子どもたちに、外国人と毎日たっぷり英語で交流させることなど不可能なのです。

まとめ

以上により、子供に英語力をつける唯一の確実な方法は、「子供が幼いうちに英語圏に移住して、英語で教育を受けさせること」だと私は考えます。

※親の経済力やお子さんの英語力に左右されずに、希望すればどのお子さんも英語で教育を受けられるように、署名活動「英語で教育する公立学校を設置してください。子どもたちを将来、英語で苦労させたくありません」を実施しています。

別記事「子どもに英語が必要な8つの理由」もぜひご覧ください。

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