子どもに英語が必要な8つの理由

世界は「英語」で動いていて、「子どもたちは英語ができないと生き残れない」という不安が私にはあります。そのため、英語で教育を受けさせようと、2014年に我が子3人と夫と共に、フィリピンセブ島に移住しました。

日本にいながら英語で教育が受けられるといいのですが、我が家には子供3人をインターナショナルスクールに入れるお金はないし、入れてもらえる英語力も日本にいた頃にはありませんでした。

現在、コロナによる世界的な経済不安が広がっています。特に少子高齢化も進む日本はもともと言われていた経済的な厳しさがコロナ禍で加速度的に進むと私は考えます。そんな中、なぜ子どもたちに英語が必要と考えるか、理由をまとめたいと思います。

目次

なぜ子供に英語が必要か

理由①日本の社会負担は増大するから

日本は、少子化の進行で人口構成が先細りです。

団塊世代(第一次ベビーブーマー)は西暦47~49年(昭和22~24年)に生まれました。出産ブームが起きた理由は、その直前の45年までが世界大戦で、繰り延べられていた結婚が多く成立したためです。

ここで生まれた団塊世代の女性が出産し、団塊ジュニア(第二次ベビーブーマー)が、西暦71~74年(昭和46~49年)に生まれました。団塊世代誕生時に比べて出生率は4.54→2.16に激減していますが、団塊世代である母親の人数が多いため、出生数はしっかり山形となりました。

団塊世代誕生以降、出生率は減少傾向となりました。

そのため、減少という言葉から意外に思われるかもしれませんが、「人口ボーナス」が生じました。人口ボーナスとは赤ちゃんの数が減り、でも、まだ大量にいる子ども世代が現役世代に移り変わることで、「子どもと高齢者」の数に比べて「働く世代」の割合が大きくなり、経済成長が後押しされる状態のことです。

教育・医療・年金など社会福祉の負担が少ない一方で、税収が増えて財政負担が軽くなるので、インフラ整備や税制優遇に資金を回しやすく、その結果、産業の国際競争力が強くなり、内需も拡大します。

そこで、日本は60年代以降、人口ボーナスで経済右肩上がりとなり、物がどんどん売れ、土地や家の価値が上がりました。男性が大黒柱となり、一人の収入で妻と子どもを養いました。

団塊世代が子どもだった時とは違い、子ども一人ひとりに教育費をかける時代に変わり、高校や大学、塾や通信教育が増えました。

そのころの日本企業は、国内のみをターゲットにしても困ることはありませんでした。

サラリーマンは英語力のない人が大半でしたが、年収1千万円を超える人も多く、終身雇用や昇給が約束され、ほとんどの人が家庭を持ち、ローンを組んで家を構えることができました。

しかし、今は違います。日本はひどい少子化です。

団塊ジュニアが出産したと考えられる年に「第三次ベビーブーム」は起きませんでした。

図を見ても、出生数を示す棒グラフの頭で3回目の山ができていないのが分かります。でも、棒グラフは大きな凹み(へこみ)を示すこともなく、緩やかに横ばいで今に至っています。

第三次ベビーブームの山ができなかった理由は、私自身が団塊ジュニア(1972年・昭和47年生)で、2008年に初出産した頃を思い浮かべれば分かります。

第一子出生時の母の平均年齢は毎年発表されており、当時は29.5歳でした。でも、私が第一子を出産した時に、その年齢の母親が特に多いとは感じませんでした。

むしろ、ヤンママ(20歳前後)や、私と同じ高齢出産ママ(36歳以上)が多く印象に残っています。

つまり、発表されている平均年齢で産んだ人が多くいた昔と違い、今は、そこから幅広い年齢層で産む人が増えているのです。

医療技術の発達で高齢出産が可能になったことや、女性の多様なライフスタイルが認められるようになったことなどが理由でしょう。

この傾向により、団塊ジュニアやその前後の女性たちも出産する時期が分散し、出生数のグラフで大きな山ができなかった代わりに、大きな谷もできませんでした。

ただ、出生数におけるこの平穏はもう続きません。

妊娠できる世代の女性数がすでに減少しているからです。

2060年や2065年の人口ピラミッドは、もう予測されています。三角形のピラミッドのような形になることから「人口ピラミッド」の名がついたはずなのに、その影も形も有りません。

2060年は、我が家の子どもたちなら40~50代を迎えているはず。
彼らが、私の世代=高齢者に押しつぶされずに、結婚・出産できているかが気になります。

2060年の日本の将来推計人口
国立社会保障・人口問題研究所」2060年人口ピラミッド図。当研究所サイトトップページでは、第二次ベビーブームが始まる少し前、1965年から、100年間の日本の人口ピラミッドの推移動画を見ることができます。現役世代がみるみる減っていき、ピラミッドがさかさまになっていく様子が分かりやすいです。

一般的には、経済の発展で子どもの教育費が増大することで、親の生活レベルを維持するために出生率が下がると言われています。

親の生活レベルを維持できない現代、少子化傾向は続くでしょう。

日本の高齢者の比率はどんどん増し、2050年には、経済活動に従事しない65歳以上人口が全人口の4割を占めます。

ここまで高齢化が進む国は他に例がありませんし、日本にとっても初めてのことです。私たちは少ない働き手で日本のインフラや社会保障を支えなくてはなりません。

一方、1970~1982年生まれの若者はロストジェネレーションと呼ばれ、大学卒業時に就職氷河期であったため非正規で働く人も多く、将来、年金だけでは生活できないでしょう。

国民保険・年金未加入者や、結婚・出産をしていない現在の現役世代が中高年以上になった時、誰が彼らを支えるのでしょうか?

将来の日本の人口ピラミッドは、ピラミッドと言うよりはむしろ、ムンクの『叫び』に見えてしまうのですが、将来の日本に関する予想は、まさにムンクの叫びと言えそうです。

ムンクの叫び
ムンクの叫び

理由②日本の市場が縮小する

若者がいない日本で、物は売れるのでしょうか。国は、家や車に対して「住宅ローン減税」「エコカー減税」などといって国民に購入を後押しする施策を打っています。

国が民間の特定商品の売上げを支援するなんておかしいのですが、これらの大きな買い物がなされることにより社会に与える経済的なプラスインパクトが大きいからです。

エコカー・・などといっても、実際は「環境」より「経済」効果を国は期待していると言われています。

例えば、家が売れれば、住宅メーカー、下請け建設業、家具屋、保険会社などにお金が落ちます。

そして、これらの企業に勤める人たちも「現役世代」ですから、給料として得たお金を子育てや大きな買い物に使い、経済の活性化が期待できます。

でも、家を買う世代の数は確実に減りました。

高齢世代によるリフォーム需要はありますが、団塊世代が家を建てることで生まれた経済効果にはまったく追いつきません。2018年の合計特殊出生率が1.42(厚生労働省 令和元年2019人口動態統計の年間推計より)の時代ですから、結婚する男女は一人っ子同士、つまり長男と長女の組み合わせである可能性がますます高まります。それぞれの両親から持ち家を相続すれば、一軒の家が余る時代です。

さらに、一人あたりの給与が下がっていて夫婦共働きが増えていること、独身者も増加していることから、一軒家より利便性が高いマンションの需要が高まっています。家を建てる人は少なくなっていきそうです。

その傾向を強める現象が並行して起きています。

医療の発達などにより、日本人の平均寿命が延びていて、女性が87.32歳、男性が81.25歳で、ともに過去最高を更新(2018年)。男女とも、世界でもトップクラスです。

80代の方が亡くなると、その子どもが遺産を相続することになりますが、子どもといってももう60代などです。「相続したお金で家を建てる」可能性は低く、老後の先行き、つまり高齢者介護のサービス不足や医療費などを不安に感じて貯金してしまう方がほとんどでしょう。これでは市場にお金が回りません。

デフレの正体」で藻谷浩介氏は「(※戦後、生産年齢人口が増加したことで)人口の頭数に連動して売れるような商品、例えば車や住宅、電気製品の需要が高まり、それらを供給する生産力が必要な量以上に発達してしまった」(※は引用者追記)と記しています。

日本は少子化と高齢化が進行する時代に移ったのに、商品をどんどん作ってどんどん売る方針から転換し損(そこ)ねているのです。

今後、日本で成り立つ産業は、高齢者をターゲットにしたものがほとんどとなりそうです。

今の子どもたちが、昔の子ども同様に将来の職業として多様な夢を持っても、日本には職の選択肢がなくなります。

しかも、高齢者をターゲットにした代表的な職業「介護職」は、労働条件がきつい割に賃金が安く、生活を維持するのは困難です。

今後一~二年のうちに団塊ジュニアの出産が見込めなくなり、さらに団塊世代が亡くなれば、日本の人口は激減し市場は縮小します。

英語を使いこなせる人材が少ないので、海外に販路を拡大するのは容易ではありません。

次世代の日本の子どもたちはどうやって生計を立てるのか、さらに次の世代の子どもたちは…と考えると、私にはとても恐ろしく感じます。

理由③企業は英語力のある社員を求めているから

企業は社員に、英語力を強く求めています。

日本国内では売上も社員確保も見込めず、海外にマーケット(販売先)や生産拠点を移したいと考えるためです。

特に日本のマーケットが今後小さくなればなるほど、海外には何倍もの大きさのマーケットが存在するともいえ、企業には魅力的です。

一握りのエリートだけが海外ビジネスにタッチする時代はとっくに終わっています。

企業の行動に直接・間接的な利害関係を有する者をステークホルダーと言います。

経営者や株主、従業員、金融機関、債権者、取引先、競合企業、顧客、地域住民などが含まれ、近年は日本企業であっても日本語が通じるステークホルダーばかりではなくなっています。

「日本語が通じる相手がほとんどいない」という企業もあるでしょう。

大切なステークホルダーに日本人以外が含まれれば、企業はコミュニケーション手段として英語を使わざるを得ません。重要度の高い相手が、例えば中国人だけであれば中国語を使う場合もあるとは思いますが、重要度の高い相手が複数国に渡るほとんどのケースでは「世界の公用語」の位置づけにある英語が使われます。でも日本語だけを日々使い続けている日本人が、英語を上手に使いこなせるわけがありません。

2010年に英語の社内公用語化を発表して話題になった楽天株式会社・代表取締役会長兼社長の三木谷浩史氏は、著書「たかが英語!」の中で下記と書いています。

「おそらく5年後、あるいは10年後、『あの時英語化していて本当に良かった』と僕らはきっと思うはずだ。
国内マーケットだけを相手にビジネスをするか、世界のマーケットを見てビジネスをするのか。
それによって結果は全くちがってくるからだ」「楽天は、(※グーグルやアマゾンのような)強力なプレイヤーと戦っていかなければならない。・・むしろ楽天の海外進出のタイミングは遅かったくらいだ」(※は引用者追記)。

ユニクロを展開するファーストリテイリング社も、同じ2010年に社内英語公用語化を発表しました。
会長兼社長の柳井正氏は下記と語っています。

「もはや日本はビジネスに適した場所ではなくなっているのです。

これは極論かもしれませんが、国内市場は、確実に縮小し、少なくともビジネスチャンスは減っていく。
そのような現実の中で果たして、日本語だけで勝負しようという人が活躍できるフィールドがあるのかどうか、ということです――。

特に若い人は、英語でビジネスのコミュニケーションができない人は生き残っていけなくなるでしょう。

ですから、英語は必要最低限のビジネススキルとなってくるでしょう。

クビになる、ならない以前に、英語ができないとどこも雇ってくれないという日は、そう遠くないのかもしれません」(PRESIDENT11年1月17日号)。

グローバル化はとどまることをしりません。英語公用語化をしていない企業を選んで就職しても、いつ英語必須に転じるか分かりません

1999年、経営危機に瀕していた日産自動車と資本提携した仏ルノー側の担当者として、カルロス・ゴーン氏が日産COOに就任し、見事に再建を果たしました(その後、金融商品取引法違反の容疑で逮捕され、レバノンに逃亡した人というインパクトが強いですが苦笑)。

ソフトバンク株式会社も、海外で活躍する人材を育てるため、英語能力テストTOEIC(トーイック。国際コミュニケーション英語能力テスト=Test of English for International Communication)で高得点を取った社員を報奨する制度を期間限定で行っていました。

日本で発言力と影響力を持った企業は特に、社員の英語力を重視する姿勢が顕著です。

理由④英語力がなければスタートラインにも立てないから

大手の例ばかりあげていますが、私は、子どもを「大企業」に入れたいわけでも、「就職」するのを目標にさせるわけでもありません。

でも、子どもの行き先が中小企業であっても、起業を選んでも、同じく英語力は必要になります。

そして、どんな職業であっても、その職に必要な能力に加えて英語ネイティブスピーカーであれば、人生の選択肢は増えることでしょう。

英語もできれば、世界中で職場を選べます。「日本の職場」で働いてもいいし、「外国の職場」で働いてもいいのです。

異国と日本の職場を行き来し、それぞれの良いところを吸収し、広めていくこともできるでしょう。英語も日本語もできることで、どこで働いても重要な存在となり得ます。

多様性(ダイバーシティー)からは、新しい技術や考え方を取り入れた、社会的意義のある新たな価値(イノベーション)が生まれやすいと言われています。

英語ができることで異国の同業者と刺激し合って仕事ができれば、イノベーションの一翼をになう希少な人材の一人として、やりがいのある仕事を得られる可能性が高まるのではないでしょうか。

日本では、日本国内のビジネスに適応できるよう教育が行われています。でも、国内で働くなら合格点を与えられる若者でも、グローバルでは通用しません。

どんなに学歴やペーパーテストの点が高く、多くの企業が新入社員に求める要素「コミュニケーション力」や「主体性」に優れていても、このグローバル化した社会ではスタートライン(就職)にさえ立たせてもらえません。

日本語しかできないばかりに「日本語だけで済む職場や生活圏」しか選択できないなら、企業にいいように買いたたかれます。

生き残るには、日本の学校教育では習得できない「英語」に習熟しなければなりません。今の子どもたちは、英語からは逃げられない世代です。

このように言うと、「英語ができたって安泰ではない。アメリカ、イギリス、オーストラリアなど先進国では、若い英語のネイティブスピーカーでさえ大勢、失業している」と気づく方は多いでしょう。

そう、英語さえできれば大丈夫という単純な構図ではありません。

今、先進国では、ホワイトカラーの仕事と労働賃金が減少し、発展途上国に流出する現象が起きています。

理由はいくつかあります。ITにより業務遂行が遠隔地でも可能になっていること、若くて人数が多く英語力に長けた東南アジア人が低賃金で仕事を引き受けていることなどです。

先進国でこれまで崇敬されてきた士業でさえ、消費者は基本的な知識をネットで収集し、可能な範囲まで自分で処理してしまうので、仕事が減っています。

医療も然りで、「乾いたせきか、タンのからむせきか」などの質問に患者がコンピュータの画面で応えるだけで、医師がいなくても予備診断を下せるオンラインプログラムが登場しているようです。

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』(ダニエル・ピンク著 大前研一訳)によれば、コンピュータープログラマー、簡単な編集、判例検索をする弁護士業務、CATスキャンの画像を読む放射線専門医、企業会計や財務分析、デザインなどあらゆる種類のホワイトカラーの仕事が諸外国へ移行しつつあります。

地球の裏側の国と通信コストが実質的にゼロに近くなり、今後も途上国が優秀なナレッジ・ワーカー(知識労働者)を大量に生み出し続ければ、北アメリカやヨーロッパ、日本の労働環境はさらに変化します。

国境が壁にならないこんな時代に労働者に求められる資質には、他国の人とも協力して仕事を生み出す力があげられるでしょう。

つまり、英語ができるだけでは安泰になりませんが、最低、英語力は欠かせないといえます。

理由⑤英語力がないと暮らしにも影響が出るから

仕事に限りません。日本語しか分からなければ、暮らしにも影響がでるでしょう。

日本では、新聞発行部数が減っています。2000年には5371万部発行していましたが、2019年には3781万部になっています(日本新聞協会)。

実はこの間、日本の世帯は大きく変わっています。2010年に「一人暮らし」が総世帯数の3割を超え、これまで最多だった「夫婦と子ども」世帯を上回りました。「総世帯数」は1990年以降増え続けています。購読する新聞を大家族の中で回し読みしていた時代から、少人数世帯で読む時代に変わっています。新聞社にとっては、購読者数の増加が期待できるプラス現象のはずです。

でも、新聞離れは進んでいます。インターネットの普及で無料の情報収集が可能になり、個人が有料の新聞を敬遠し始めたからです。企業も広告拠出先を、価格の高い新聞から、少額で試行できるネット広告に移しつつあり、新聞社の財務状況は悪化しています。

また、日本の現役世代数は減っているため、新聞社は有能な社員確保が困難になっていきます。今はまだ全国紙や地方紙が多数存在しますが、新聞社の質の低下や減少は避けられないでしょう。テレビ局についても同様です。こうしたマスメディアの衰退により、日本語しか理解できなければ、今後は世界についてばかりではなく日本についてさえも多面的に知るのは難しくなるかもしれません。

日本語しか分からなければ暮らしに影響を与えそうな例は、さらに挙げられます。現在は多くの洋書が日本語に翻訳されて売り出されています。洋画も、吹き替えや字幕がついています。でも、こうした商品を主に購入するだろう現役世代が減ることで、これまでのように多種多様な洋書・洋画に日本語では触れられなくなると私は考えます。

例えば、書籍を発行するには多額の費用がかかるため、出版社は発行の可否を決めるにあたり、シビアに採算を計算します。20~50代の人口が千人だとします。ある本が、その4割に関心を持たれるテーマで、そのうち1割は買ってくれると見積もってみましょう。
1000人×40%×10%=40冊
の売上が期待できます。しかし、ターゲットとなるその年代の人口は減っています。現在、出生率が1.42ですから、若い2人が1.42人に移り変わっていると言えます。
次世代の若者1.42人/現在の若者2人=71%
非正規雇用者はあまり娯楽や情報収集にお金をかけない、と乱暴ですが想定し、現在、雇用者全体に占める、役員を除く非正規雇用者の割合36.7%を引いて、かけてみます。
1000人×71%×40%×10%×(100―36.7)%=18冊
の売上しか期待できません。

現在数値と未来数値が混ざった計算ではありますが、このような傾向であることは確かでしょう。すると、これまでなら出版されただろう本が、これからは出版されなくなります。

洋画も、コストを抑えるために吹き替えや字幕をつけずに上映されるのがせいぜいになるかもしれません。つまり、英語で洋書・洋画を楽しめない日本人にとっては、「洋書・洋画は見られなくなる」と言っても過言ではないでしょう。実際、発展途上国などではローカル言語の翻訳がついていることはあまり期待できず、洋書・洋画は翻訳や字幕が付いていない英語のままで楽しみます。

インターネットでさえ、日本語だけで情報収集や発信をしようとすると未来は明るくありません。現在インターネットで使われている言語として、日本語は8位にランクインしています。2.6%です。2015年11月時点では6位でしたが、徐々に順位を落としています。

インターネットの主要言語トップ10【2019年4月】
インターネットの主要言語トップ10【2019年4月】Internet World Stats 「INTERNET WORLD USERS BY LANGUAGE」より

計算式となるのは「日本の人口×日本でインターネットを使う人の割合」。前者の「日本の人口」が現在は多いからであって、2008年以降、日本の人口は減少傾向にあることから、世界における日本語でインターネットを使う人の割合は小さくなっていくでしょう(地球の人口は増えています)。

実際、グーグル検索サイトで「コンピューター」とカタカナを入れてみると9890万件ヒットしますが、英語でcomputerと入れてみると64億6千万件ヒットします。実に65倍です。IT言語ではない「バラ」と「rose」で比較しても1億9800万と5億となり、英語のほうが情報優位です。

数の上では「英語」母語人口は「中国語」母語人口にかないません。しかし英語には、母語人口以外の人々に使われている規模の巨大さ、事実上の世界言語として広範に使われ、世界の五大陸すべてに英語人口が広がっている特徴があります。世界中の人にとって、多様で豊富な情報を得たり、ネットワークを広げたりするなら、英語で情報収集や発信をすることはますます欠かせなくなるでしょう。

理由⑥英語で発表しない「音楽」と「IT」は存在感がない

英語に長けていないために、残念な結果が出ていると思われる二つの現象を挙げたいと思います。

一つは音楽です。ビートルズやマイケルジャクソンのように世界的に有名なミュージシャンが、日本からは現れていません。人々に長く歌われる世界的名曲が日本から生まれていない原因を「言葉のせい」と考えるのは私だけでしょうか?

海外で、日本の名曲「いとしのエリー」(サザンオールスターズ)を耳にすることがあります。しかし、よく聞くと「いとしのエリー」ではなく、アメリカの歌手レイ・チャールズが英語詞でカバーした「エリー・マイ・ラブ」です。ほとんどの外国人が、この曲は日本のアーティストが生み出したものとは知りません。レイ・チャールズの名曲として世界各地で流れていることが残念です。

日本のシンガーソングライターには才能のある人がたくさんいますが、英語で歌詞と曲を生み出し、それを歌い、ファンやマスコミと英語でコミュニケーションをとりながら販促活動ができない限り、世界規模でミュージシャンとして成功することはないでしょう。 

英語が壁になっていることのもう一つは、インターネットビジネスです。グーグルやヤフー、ユーチューブ、アマゾン、facebook、ドロップボックスなど、有名なネットビジネスの全てが海外発です。日本が生み出したネットビジネスで、世界的に人気のあるものを見つけるのは容易ではありません。

理由の一つは、海外のシステムエンジニアの多くが、市場の大きい英語ユーザーを対象にビジネスを構築しているからではないでしょうか。うまく当たれば、爆発的なユーザー数を一気に獲得し独占できる「先行者利益」が狙えます。また、ITプログラムは英語で書かれており、多様な国のエンジニアが最新情報を英語でやり取りしています。英語ユーザーのほうが研究開発は容易でしょう。

一方、英語の壁をうまく回避できている例も見られます。「日本のマンガ」です。mangaと英語辞典にも登場しています。スタジオジブリの作品も、ワンピースやドラえもんなどのマンガも世界的に有名です。マンガの場合、キャラクターに充てる声優を英語のネイティブスピーカーにするだけで、海外市場に容易に参入できます。洋画の日本語吹き替えは減少するのでは、と先に書きましたが、マンガの英語吹き替えはますます盛んになりそうです。

理由⑥世界の常識は「教育は英語で受けるもの」

ところで、教育面でも私たちは英語のハンディに苦しんでいます。文部科学省は2014年、東京大学や京都大学、名古屋大学、九州大学、関西学院大学など37大学を「スーパーグローバル大学(SGU)」に選びました。SGUとは大学の国際競争力の向上を目的に、文科省が財政支援する大学のことです。審査基準は「大学改革」と「国際化」、具体的には留学生比率や英語による授業割合などで、選定されれば十年間にわたって巨額の補助金を受給できるため、国からの補助金減少と、少子化による受験者数低下に悩む大学は必死で申請しました。

でも、日本の学生が、英語の授業に対応できるのでしょうか?これまでずっと日本語で学んできた教科がいきなり英語になって、ついていけるわけがありません。「小学生以降に習ったことを英語でおさらいする」だけでも数年かかりそうです。

現場の混乱を承知の上で、文科省が日本の大学の学部授業を英語で実施させようとするのは理由があります。日本の大学の国際競争力があまりに低すぎるからです。イギリスの「タイムズ」紙が毎年発表している「世界大学ランキング」の19年版では、日本は唯一、東京大学が36位、京都大学が65位に入っているだけです。

もちろん、世界からどう評価されていようが関係ないと捉えることも可能です。ではそもそも、学問とはなんでしょうか?

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で(小林秀雄賞受賞)で著者の水村美苗氏は次のように書いています。

学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして<読まれるべき言葉>であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは<読まれるべき言葉>の連鎖に他ならず、その本質において<普遍語>でなされる必然がある。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

そう、学問とは、先人の知恵を学び、現世代の知恵を付加し、次世代につなげていくことと解釈できます。つまり、人々が広く意見を発信し、他者に評価されたり批判を受けたりなど多様な意見を浴びることで「残るべき意見」が残り、次世代につながっていくものです。それは、普遍語や世界語といえる英語でなされる必要があるでしょう。

知恵の継承を英語以外で行ったために妥当な評価を受けられなかった例が、かなり昔にもあったようです。

ポーランドの経済学者カレツキは、ケインズの「一般理論」(36年)に登場するさまざまな概念のかなりの部分を先に着想していたのに、それをポーランド語とフランス語で発表したため、ほとんど注目されませんでした。当時の経済学界における共通言語はすでに英語が主流で、研究論文は英語で書かれていなければ存在しないも同然だったためです。イギリス生まれのケインズが「一般理論」を英語で刊行すると、カレツキはすぐにそれを通読して、そこに書かれている内容が自分の既出論文の内容に一致すると気づきます。そして同年中に「自分のほうが先にそれらの概念を論文の形で発表している」と著しましたが、それさえもポーランド語で書いてしまったため、人々の評価を得られませんでした。

カレツキには申し訳ないですが、我々の中でも現在、ケインズの名は知っていても、カレツキの名は知らない人が大半ではないでしょうか。つまり、内容が良くても英語で語られていなければ、学問の蓄積循環から外れます。

でも、日本人にとって、英語で発表するのは簡単ではありません。大学教授でさえ、海外を意識して発表する際は、自身が書いた英文をネイティブスピーカーなどに謝金を払ってチェックしてもらう人が少なくありません。自分の書いた英語のままで、自信を持って発表できるならどんなに楽でしょう。でも、外国語を書くのは読むより難易度が高くなります。

英語で発表しなくては知識や情報の蓄積循環から外れる傾向は、学問の話にとどまりません。ビジネスであっても、政治であっても、趣味・IT・主義主張など多様な分野で同じことがいえます。英語の読解力・ヒアリング力はもちろん、執筆力、スピーチ力、コミュニケーション力が無ければ、その人はいないも同然で、議論の輪に入れず傍観者となります。行われている英語の議論を理解できなければ、傍観者とさえもいえないでしょう。日本がこれまで日本語だけでそれほど不自由を感じなかったのは、「日本の経済力」を筆頭とする国内外の多様な偶然が重なり、不具合が見えづらかっただけ。自分たちの言葉で学問ができるという思い込みは、日本人だけが抱いている幻想かもしれません。

今、インターネットや電子本が発達し、世界中の書物がネット上で見られる未来が近づいています。水村氏は、次のように書いています。「高い教育を受けた全世界の人が出入りする英語の<図書館>が、内容からいって、この先もっとも充実した<図書館>となっていく――もっとも<読まれるべき言葉>が蓄積された<図書館>となっていくのは当然である」。英語の図書館に入る自由もあれば、入らない自由も当然あります。でも、「入らない」と「入れない」では大違いです。また、図書館で読むだけではないかもしれません。将来発表する側になるはずないと断定されていい子などいるでしょうか?発表と言っても、多様な分野で、多様な形式で考えられます。学者論文のように大きなものから、ホームページやブログ、Facebook の書き込みまですべてが発表と言え、数十年後には、それを英語で書かずに済む人の方が少ないでしょう。

翻訳技術の発展は目覚ましいものがありますが、翻訳を介しないコミュニケーションには、かないません。翻訳精度の向上に期待して日本人の真の英語力が伸びなければ、さらに「英語の世紀」からおいていかれるはずです。

これからの若者は、日本語に翻訳された文献だけで学んでいては時代についていけません。日本語を話す希少な現役世代とだけ議論や切磋琢磨しても十分とは言えません。それで、時代や世界をリードすることなどは、なおさら無理です。つまり、英語で議論したり発表したりする必要があります。でも日本の現在の小学校から大学までの教育では、英語で発信したり議論したりする力はつきません。

英語を母語としていない国でも、多くの学生が英語で学び、英語で議論をしています。特に発展途上国では、母語で情報を得たり、教育を受けたりする機会が限られている分、英語でそれらを行うのが当然です。海外では日本より早くから、英語ができないと良い仕事を得られない時代に入っています。日本はこれまでは先進国で、日本語だけでも良い教育、情報、娯楽、仕事を得られました。でもその状態は長くは続かず、現在の発展途上国同様、英語でも教育、情報、娯楽、仕事をこなしていくことが求められるでしょう。

理由⑦希望を持てない日本の若者の自殺が多発しているから

日本の若者の死因は「自殺」が最も多くなっています。

日本における10~39歳の死因順位の1位は自殺となっており、国際的にも、15~34歳の死因順位の1位が自殺となっているのはG7の中でも日本のみである。

内閣府「自殺対策白書」令和元年版(PDF)

20歳代の自殺死亡率が他の年齢階級にはみられない上昇傾向にあり、また、20歳代の死因のうち半数近くを自殺が占めるという深刻な状況です。私が移住を決断したときに確認した白書最新版では、就職の失敗を理由にした日本の若者の自殺が多いと記されています。

20歳代の自殺に多い原因・動機は、「経済・生活問題」のうち「就職失敗」、「学校問題」のうち「その他進路に関する悩み」など、いずれも就職の問題に関連しており、しかも自殺者数は増加傾向にある。

13年版

就職の挫折で自殺するほど自身を追い詰めてしまうのは、真面目で一生懸命な子が多いのではないかと推測しています。今後の日本は、日本語だけでできる仕事の選択肢は、これまでの時代よりずっと少なくなっているはずで、就職や仕事の成果に悩む若者は増えていくはずです。

以上が、子供たちに英語が必要な理由です。我が家の場合、海外に移住すれば、英語で苦労するのは目に見えていましたが、英語に関しては、いま私たちが苦労するか、将来子どもたちに苦労させるかのいずれかと考えました。いや、子どもたちは将来、英語で苦労するチャンスすら得られないかもしれません。前述の通り『英語ができない』と判定されたら、もうチャンスなんて与えられない可能性があります。

そこで、我が家は子供を英語バイリンガルにするための移住を決意しました。

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